ipadがキャズムを突破するのは時間の問題だろう。
「キャズム」とはマーケティング用語であり、イノベータ/アーリーアダプタ(早期採用者)とマジョリティ(多数採用者、いわゆる広く大衆に浸透)の間に存在する深い溝のこと。
わかりやすく言えば、電車男がそれまで2ch文化だったものが、テレビ放映によってアキバオタク文化が大衆化したことはキャズムを超えた例だろう(厳密に言うとマーケティングじゃなくてカルチャーだけど)。
ちなみにipadは登場時に既にアーリーアダプタのものだった。
iphoneの時と違い、発表前から注目されていたためイノベータは存在しない。
あえて言えばアメリカとの発売日差で個人入手していた勇ましい人たちがイノベータか。
じゃあiphoneが(たぶんipadもすぐに)大衆化するのに必要だった重要な要素は何か。
それは「キュレーション」だと思う。
キュレーションとは美術用語で展示する絵を選ぶこと。
展覧会が成功するも失敗するもアートキュレーター次第。(たぶん)
何がいいたいかというと、iphoneとその他のスマートフォンとの違いはキュレーションの有無だということ。
iphoneにはappleのキュレーションが入っている。
そしてそのキュレーションは今の時代に最適なものであり、マジョリティにわかりやすいものだ。
だから多くの人々はiphoneを選んだ。
アンドロイドはイノベータにとって素晴らしいものであるが、マジョリティには敷居が高いし何をすればいいのかまだわからない。
マジョリティは自分からイノベーションする訳ではないから完全な自由は必要ない。
逆にある程度決められたフィールドじゃないと何をしてよいかわからないし、安心できない。
日本の携帯はガラパゴスケータイと揶揄されているが、これまでのマジョリティの生活スタイルにとっては程よく規定された使いやすいフィールドだったと言える。(今は時代遅れだが)
一個前のブログでも書いたが、ネットの進化と人々の変化に対して、ここ数年のappleのキュレーションはベストフィットしていると思う。(もちろん戦略的にそうしているのだろうけど)
iphoneで提供される機能性、可能性は、多くの人にとって一歩先の時代を見るには程よいものだと思う。
だからキャズムを超えることができるんだな。
今ルノアールで鳩山氏の議員辞職のtwitを見ながらipadでこの文章を書いてる。(まだキャズム超えてないからちょっと恥ずかしいけど)
情報は次から次へと入ってくるし、みんなバンバン意見を発している。
こういう時代に程よくキュレーションされたipadとiphoneはほんとに便利だ。
時代についていきたいし、先行していたいという自意識が過剰な自分にとっては必要な道具だなぁと改めて思った。
以上