テレワークの浸透により打ち合わせの垣根が低下し、容赦なく降り注ぐ打ち合わせの日々。
休みらしい休みになっていないお盆休みの月曜日。
この日も急遽朝一で打ち合わせをすることになったけども、10時には電話会議を終えてパソコンを潔くシャットダウンし、電動ママチャリにまたがっておっさん一人旅。
なんとなく目指すは学生時代の多くを過ごした目白台。
気分は寝る間も惜しんでバイクで都内を走り続けていた大学時代。
外苑西通りの終点までは時間節約のため大人しく脇道に逸れることなく走った後、いよいよ終点の先に広がるお楽しみの新宿余丁町。
突如現れる昭和の世界を堪能した後、戸山ハイツへ。自然豊かな昭和の団地。
戸山キャンパス横に出た後は、大隈講堂前を抜けて都電早稲田駅のある新目白通り。
さらにそのまま神田川へと抜けると懐かしい町並み。
大学時代に何百回とバイクで走り抜けたであろうローカルな道。
当時はさして興味もなかった目白台の台地の眼下に位置するこの土地の趣き深さ。
町工場や商店などが織りなす貴重な風景。
バイクで駆け上がった急坂を電動ママチャリで登る自分をまったく想像しなかったあの頃。バイクの整備のたびに裏の空きスペースを使わせてもらっていた警備会社。
雑司が谷の真ん中を抜け、そろそろ都電の踏切だと思っていたところ、ふと視界が左右に開けた。
20年前に計画を知った道路がついに建設中だ。東池袋から千登世橋までを荒川線に沿って突っ切る道だ。
こうして少しづつ町の風景が変わっていくのかと思いつつ、明治に出て、そのまま北上して東池袋二郎へ。
学生時代、三田と並んで結構な頻度で食した二郎だ。
当時は開店直後で、歌舞伎町系の二郎として二郎界の中でも2流的な扱いであった。
三田に比べて麺が硬く、味が単調だが、私はなかなか気に入り、昼に三田二郎、夜に池袋二郎のような気合の入った二郎生活を送っていた。
しかし今日はやっていなかったのでスルーして西口へ。 16年ぶりの池袋中本。
味噌卵麺野菜大盛 うまし。
どこの中本で食べても特に変わらない安定した味。 ただ、ナイト食品時代のほうが唐辛子の味がはっきりしていた気がする。
食後は護国寺の講談社前を通り、神楽坂から新潮社前を抜けて外堀。麹町から一番町、国会裏をママチャリで疾走し帰宅。 その後2日間はおしりが痛かった。